悪霊と豚
欧米の文化を理解するのにキリスト教の知識は不可欠です。
政治にも影響を与えます。
今回のアメリカ大統領選挙もそうです。ロムニーはモルモン教徒ですが、キリスト教の中では異端扱いをされます。モルモン教だから投票しないとしたアメリカ人は2割いたそうです。もしロムニーが普通のプロテスタントであれば当選した可能性さえあります。
のっけから話がずれましたが(苦笑)
この世に霊は存在するのでしょうか?
僕は霊に関しては不感症です。敏感な人はいろいろと感じるそうですが、僕は感じたことがありません。なので、いるともいないとも言えません。
敏感な人達のことを素直に信じるとして、霊は存在するということで話を進めていきます。
霊には、いろいろな種類があるのでしょうか?
悪霊があるのだったら、その反対の善霊というのがいるのでしょうか?
よくわかりませんね(苦笑)
昨日の記事を書いた後、先月散髪屋さんに行ったときに、たまたま見たTVの内容を思い出しました。
イギリスかどこかの牧師が「悪霊を追い出す」というものでした。
「エクソシスト」やその他悪霊を取り扱った映画と関連させて紹介していました。
その中で人に憑りつく悪霊を追い出すところを、再現シーンとしていくつもやっていました。
悪霊でも強さに違いがあって、最も劇的な場面を再現しところでは、ちょうど髭を剃っている真最中でみられませんでした(笑)
悪霊を追い出すとこで牧師が使う言葉は「イエス・キリストの御名によって」でした。
それが僕の頭で、ドストエフスキーの「悪霊」の重要モチーフとなる“悪霊と豚”の話とつながったのです。
聖書では、イエス・キリストが人に憑りついている悪霊を追い出す。悪霊が豚に乗り移るということが書いてあります。
本当のことであると信じるか、嘘だとして否定するかは自由ですが、仮に真実であるとして受け止めた場合、悪霊を追い出すというのはとてつもなく凄いことだと思います。
さっきのTVの内容とあわせると、イエス・キリストにはとんでもない力があるということになります。
そんなことを思いつつ・・・
(強引に話を戻して)
欧米の小説を読むときに、キリスト教の知識があるとなしではその世界を味わうのに差がでてくるだろう、とぼんやり考えています。
(無理やり話をしめる)
以下は、ルカによる福音書から“悪霊と豚”の話の箇所を引用します。興味のない方はとばしてください。
↓
一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。
イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。
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政治にも影響を与えます。
今回のアメリカ大統領選挙もそうです。ロムニーはモルモン教徒ですが、キリスト教の中では異端扱いをされます。モルモン教だから投票しないとしたアメリカ人は2割いたそうです。もしロムニーが普通のプロテスタントであれば当選した可能性さえあります。
のっけから話がずれましたが(苦笑)
この世に霊は存在するのでしょうか?
僕は霊に関しては不感症です。敏感な人はいろいろと感じるそうですが、僕は感じたことがありません。なので、いるともいないとも言えません。
敏感な人達のことを素直に信じるとして、霊は存在するということで話を進めていきます。
霊には、いろいろな種類があるのでしょうか?
悪霊があるのだったら、その反対の善霊というのがいるのでしょうか?
よくわかりませんね(苦笑)
昨日の記事を書いた後、先月散髪屋さんに行ったときに、たまたま見たTVの内容を思い出しました。
イギリスかどこかの牧師が「悪霊を追い出す」というものでした。
「エクソシスト」やその他悪霊を取り扱った映画と関連させて紹介していました。
その中で人に憑りつく悪霊を追い出すところを、再現シーンとしていくつもやっていました。
悪霊でも強さに違いがあって、最も劇的な場面を再現しところでは、ちょうど髭を剃っている真最中でみられませんでした(笑)
悪霊を追い出すとこで牧師が使う言葉は「イエス・キリストの御名によって」でした。
それが僕の頭で、ドストエフスキーの「悪霊」の重要モチーフとなる“悪霊と豚”の話とつながったのです。
聖書では、イエス・キリストが人に憑りついている悪霊を追い出す。悪霊が豚に乗り移るということが書いてあります。
本当のことであると信じるか、嘘だとして否定するかは自由ですが、仮に真実であるとして受け止めた場合、悪霊を追い出すというのはとてつもなく凄いことだと思います。
さっきのTVの内容とあわせると、イエス・キリストにはとんでもない力があるということになります。
そんなことを思いつつ・・・
(強引に話を戻して)
欧米の小説を読むときに、キリスト教の知識があるとなしではその世界を味わうのに差がでてくるだろう、とぼんやり考えています。
(無理やり話をしめる)
以下は、ルカによる福音書から“悪霊と豚”の話の箇所を引用します。興味のない方はとばしてください。
↓
一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。
イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」
イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。
イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。
そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。
ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。
悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。
この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。
そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。
成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。
悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。
「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。
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