豊臣秀長(4)

メリー クリスマス!

久々の「豊臣秀長」です。
20歳過ぎまで百姓だった秀長(その頃は小竹“こちく”と呼ばれていたようです)のところへ、兄の秀吉がやって来て自分の家来にならないかと誘ってきた場面。今回で3回目になるのですが、今後の秀吉のあり方と秀長のありようが象徴的に表された部分なので、長くなりますが本文(堺屋太一『豊臣秀長』から多くを引用します。(上巻P67?69)


秀吉の大法螺ふきと嘘の多い話に、秀長は「兄者の話は嘘が多い。それでは俺の身を預けるわけにゃいかんわい」と。

秀吉は「確かに俺は嘘が多い。しかし、生まれも賤しく力もない俺が出世して行くためにはそうもせにゃならんのじゃ。
俺はこうなると先に決めてから励む、これはこうするというてからやってみせる、まず自分を追い込んでしもうてから、生きるためにあがく。
そうでのうては、這い上ることはできんのじゃ。わかってくれや、小竹・・・」

「危ない橋も渡らにゃあならん。怖いこともあるわい。しかし、それをやり抜くのが出世の道じゃ」

「汝(われ)に頼みたいのはそこじゃ。俺は、とにかく、前に走る。上を見ながらひたすらに走る。なればこそ、汝にあとをしっかり支えてもらいたいんじゃ

秀長は、兄の心の底にある孤独な淋しさを見せられた思いがして、捨てられない気持ちになり「分かった」とぽつり呟きます。

こうして家来になることを決心します。

堺屋さんは、秀長がこの瞬間に2つの決断をしたと書いています。
・不安と困難に満ちた海に兄と共に船出する覚悟
・兄の補佐役として労多く功少ない立場に身を置く決心


日本の歴史上一番出世したのは秀吉だと思います。しかし秀吉一人だけでそれを成したとは言えません。弟の秀長の働きを抜きにしてはありえないことです。(これは堺屋さんの著書「豊臣秀長」を読めばわかります)
ところが功績の大きさに対して歴史上有名な存在になっていません。

それは秀長が脇役に徹し、自身の功名が広がることを極力控えたからだと思います。
ここに凄さを感じます。また僕の関心を惹いてやまないところです。
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