暴露記事
巨人の原監督のスキャンダルが報じられました。
この暴露記事に対し、原監督は「清武さんへ」という文章を発表しました。
事の真偽はわかりませんが、いくつか続く巨人関係の暴露記事を考えると、かなり黒に近いグレーという感じがします。
ここで思うのだけど、
人間て、悪に対して非常に弱い・・・
倫理的、社会的、法的その他一切の尺度で人間を裁いたときに、全く問題のない人間はいない。
みんな何らかの暗部を抱えている。
実際に行動を起こさなくても、思ったり考えたりする部分において、倫理なり善悪の基準をクリアできる人間はいない。
(こんなことを書くと、僕はコチコチの性悪論者みたいですね・・・苦笑)
仮に、一人一人に生まれてから現在に至るまでの行動記録があったとしたら、世間に公表されて困るものがあるはずです。(ことの大小や数はそれぞれですが)
表面上清廉潔白に見える人こそ,とんでもないスキャンダルがあるかもしれません。
これは、なにも悪いことをしろと勧めたり、人間てそういうものだからといった免罪符にするつもりはありません。
人間てどうしようもなく哀しい存在
と思うのです。
そういうことを踏まえて、原監督のことを言うと、この件に関して裁ける人ははたしているのだろうか?
芸能番組で、様々なスキャンダルに対して善人ぶって「したり顔」でコメントする人がいますが。これには腹が立つ。
はら
たつ
のり
「あんたら、偉そうに言ってるけど、人のことが言えるんか?
明日は我が身やで」
と言いたくなります。
本題に戻って、
一連の暴露ものが清武さんによるものであるなら、その動機はおおよそ見当がつきます。
その醜さは許容できない。単なる暴露とは質が違います。
会社や組織の社会的不正や癒着、利権が絡んだ巨悪を暴露するのは大歓迎です。しかし、報復か何かの手段に個人のスキャンダルの暴露を使うはいかがなものか。
スキャンダル記事に「むらがり」「たかる」のは人間、書くのが人間なら売るのも人間、買うのも人間なら読むのも人間。
僕は週刊誌は買いません。しかしどこかに行って週刊誌があれば手に取ります。そして読みます。
そう、人のことは言えない。
この暴露記事に対し、原監督は「清武さんへ」という文章を発表しました。
事の真偽はわかりませんが、いくつか続く巨人関係の暴露記事を考えると、かなり黒に近いグレーという感じがします。
ここで思うのだけど、
人間て、悪に対して非常に弱い・・・
倫理的、社会的、法的その他一切の尺度で人間を裁いたときに、全く問題のない人間はいない。
みんな何らかの暗部を抱えている。
実際に行動を起こさなくても、思ったり考えたりする部分において、倫理なり善悪の基準をクリアできる人間はいない。
(こんなことを書くと、僕はコチコチの性悪論者みたいですね・・・苦笑)
仮に、一人一人に生まれてから現在に至るまでの行動記録があったとしたら、世間に公表されて困るものがあるはずです。(ことの大小や数はそれぞれですが)
表面上清廉潔白に見える人こそ,とんでもないスキャンダルがあるかもしれません。
これは、なにも悪いことをしろと勧めたり、人間てそういうものだからといった免罪符にするつもりはありません。
人間てどうしようもなく哀しい存在
と思うのです。
そういうことを踏まえて、原監督のことを言うと、この件に関して裁ける人ははたしているのだろうか?
芸能番組で、様々なスキャンダルに対して善人ぶって「したり顔」でコメントする人がいますが。これには腹が立つ。
はら
たつ
のり
「あんたら、偉そうに言ってるけど、人のことが言えるんか?
明日は我が身やで」
と言いたくなります。
本題に戻って、
一連の暴露ものが清武さんによるものであるなら、その動機はおおよそ見当がつきます。
その醜さは許容できない。単なる暴露とは質が違います。
会社や組織の社会的不正や癒着、利権が絡んだ巨悪を暴露するのは大歓迎です。しかし、報復か何かの手段に個人のスキャンダルの暴露を使うはいかがなものか。
スキャンダル記事に「むらがり」「たかる」のは人間、書くのが人間なら売るのも人間、買うのも人間なら読むのも人間。
僕は週刊誌は買いません。しかしどこかに行って週刊誌があれば手に取ります。そして読みます。
そう、人のことは言えない。
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