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一橋グループ

徳川家康は将軍家の血筋が絶えた場合のことを考え、御三家を創りました。

実際に7代目で絶えた時に役立ちました。紀州徳川家から吉宗が将軍家を継ぎました。

吉宗は自分の子孫が将軍家を継ぐべく御三卿を創りました。
 ・一橋家
 ・田安家
 ・清水家
御三卿は、御三家のように独立した領地や城を持つ大名ではなく、江戸城内に邸宅を与えるだけにとどめました。

永井路子 著「岩倉具視」によると
「分家を増やさず、血統のプールとして温存し、然るべく大名家に養子として送り込む意図があったらしい」のです。(P35)

家斉(11代将軍)の頃の文献によると、御三卿は「部屋住」と呼ばれていたらしいのですが、その言葉とは裏腹に将軍と密着し、隠然たる力を伸ばしていたようです。

永井さんが一橋家の系図を見て驚いたのは、御三卿は互いに養子縁組を繰り返し、渾然一体、一橋グループを作り上げていました。
具体的な人物でいうと、松平定信や松平慶永は田安系、家茂(14代将軍)は一橋家出身の家斉の孫といったぐあいです。
これらを見て、永井さんは「世はまさに徳川時代ならぬ一橋時代」と言い、ある箇所では「一橋グループの肥大化」とも言っています。


この大きくなった一橋グループが分裂しそうなときがありました。11、12、13代と続いてきた一橋グループは、次に誰を送るかでもめていたです。
水戸徳川家から入って一橋本家を継いだ慶喜と、
紀伊徳川家の慶福(家斉の孫)の争いです。
(結果は慶福が14代将軍家茂となります)


さあ、どう思われます。
僕にとっては“一橋グループ”という視点は新鮮でした。今まで気づかなかったことが見える気になりました。


家康は御三家を血統のプールという役割を持たせただけで、政治に介入させませんでした。
それに対し御三卿はどうでしょう。また一橋グループはどうでしょう。
家康が江戸幕府体制を安定させるために作った原則を揺るがしているのです。江戸後期の政治の不安定さにいくらか関係があるのかもしれません。

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