地獄の釜の蓋

「ノモンハン事件にせよ、新左翼運動にせよ、オウム事件にせよ、村上春樹は日本の近現代史における“固有の狂気”の問題を取り上げているように思います」


  はい、は~い、今日も引用でいきますよ~(笑)

昨日書く予定でしたが、不意の来客で今日になってしまいました。
冒頭の引用は、前回の引用の続きです。さらに続けますよ。

「村上春樹=司馬遼太郎後継者説はそれほど突拍子でもない。二人とも“地獄の釜の蓋が開いたときの出来事に反応しているからです」 (「もういちど村上春樹にご用心」P41)



“地獄の釜の蓋”について定義している箇所はありません。誰が初めに使った言葉でしょうか?内田樹さん、それとも村上春樹?他の誰かかな・・・
それはよしとして、この言葉を状況を通して説明しているところがあります。簡単にまとめますと、

村上春樹も内田樹も学生運動たけなわのころ大学生でした。これに関わった学生は主体的に政治的に行動を選択したと思っているが、実は地層の深いところで起きた文化的地殻変動に反応して、動かされていたのではないとと内田さんは考えています。

なぜ学生運動にコミットしたのかと考えるが、未だにわからない。時代に憑りついた狂気みたいなものだからよほど遠くまで離れないとわからない。渦中にいる人間にはわからない。ただ、あのとき
瞬間的にだけど、地獄の釜の蓋が開いたように感じた。蓋の隙間から地獄の業火がちょろちょろと見えて、硫黄のにおいがした。そして一瞬だけ開いてまた蓋が閉じた。
と書いています。

学生運動に勢いがあったのは1960年代後半から1970年代の始めです。僕はその時〇〇だったので(年齢を誤魔化しますよ)、よくわかりません。この当時大学生だった方は実感としてわかるのではないでしょうか。

話がずれますが、今後“地獄の釜の蓋”が開くときがあるのかと考えました。
集団狂気によるものは浮かんできませんが、他の原因(たとえば日本国家破産、首都直下地震、東アジア戦争)による大混乱とそれと連動して、とんでもないものが誘発される。

そうなると秩序も何もあったものではありません。

話を戻して引用を続けます。
司馬さんも村上さんも
「破局的な場面で、既存の価値観が崩落して、すべてが無意味になった状況において、それでも“人間的なもの”を失わないで生きようとする人間を描こうとしている。

政治的正しさに基づいて断罪することも、宗教的な境位に持ち込むこともどちらも自制して、“人間はかくあるべき”という一般的真理を開示するものが誰もいないときに、なお“私はこうありたい”という人間的希望を語る」 (P41)


これが、村上=司馬後継者説にあわせて言いたかったことです。

司馬さんの本は20代から読み、村上さんは昨年から読み出しました。内田さんのようなとらえ方をしたこともなければ、そんな感覚で読んだこともありません。でも、言われてみればそうかもしれないと思うところがあります。

また、司馬さんや村上さんに多くのファンがいますが、内田樹の言うことを無意識的に感じ共感し、熱く支持しているのかもしれません。

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追伸

村上さんは「オウム事件」のあと『アンダーグラウンド』と『約束された場所』を書きました。
阪神淡路大震災のあと「神の子どもたちはみな踊る」を書きました。
3.11のあと、何か書くのでしょうか。
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