側室献上

保科正之の番外編です。

中村彰彦著「われに千里の思いあり」に書いてあったことで、驚いたことの一つが“側室献上”という制度(?)です。

加賀百万石の3代目となる利常は、初代利家と洗濯女の間に生まれました。

「洗濯女」とは文字通りの洗濯をする女性ではありません。以下長くなりますが、説明します。

豊臣秀吉による挑戦出兵のときのことです。
肥前名護屋の陣中で、秀吉が諸大名に言いました。「陣中不自由につき洗濯女にても召しだされ候よう ~ 」
つまり、陣中なにかと不便だから諸大名は洗濯女を勝手に呼び寄せてよい。妻女が嫉妬深い性質で下女を肥前名護屋へ下したくない場合は、その妻女自身がやってこい。という内容でした。

洗濯女というのは名目上のことで、本当のところは夜伽をすることです。

この時「おちょぼ」という名であった女性が名護屋や行き、利家の子を身ごもります。そして産まれてきたのが利常です。

これらのいきさつを書いた箇所で中村さんが、登場人物の口を通して語っています。
「側室はかならず、正室からその家の主人に献上されるという手つづきを踏まねばなりません」(「われに千里の思いあり」上 P73)

へ~!という感じでした。昔「へー」を何回も押すことを競う番組がありましたけど、僕はこの個所を読んで10回「へー」を押したい気分でした(笑)

殿様が勝手に側室を作るのではないんですね。どの大名も同じ手続を踏むのかわかりませんが、前田家は正室からの献上という形をとります。徳川将軍家も同じようです。

中村彰彦 著「保科肥後守お耳帖」を今読んでいるのですが、同じようなことが触れられていました。
「徳川家の御側室は、ことごとく御台さまからお上へ献上されるというかたちをとるのです」(P28)

御台さまというのは将軍の正室で、お上は将軍のことです。

正之の母お静の方は、側室になることはありませんでした。
秀忠のお静の方を側室にしたいという希望があったとします。これを大奥のしかるべき女性が「御台さまにお願いしたならば、お上のご希望は悋気ゆえにたちまち握りつぶされてしまうに違いない」(P28)
大姥(おおうば)さまと呼ばれた秀忠の乳母が、そう判断したわけです。

そういったいきさつで正式な手続が踏まれませんでした。それどころか正室の江の嫉妬を恐れ、世間をはばからなければならなかったのです。


家康は何人側室がいたのでしょう?相当な数がいたと思います。
秀忠は何人でしょう?ひょっとしてゼロかな?


あくまで結果論ですが、保科正之は将軍家の子供として育てられなくてよかったと思います。
ただ、秀忠の子をみごもったお静の方とその周辺は、僕の悠長な結果論とはほど遠い、ただならぬ緊迫感の中にあったと思います。

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お江さま

私も楽しく視ている、某半国営放送局の大河ドラマですが、主人公の『お江さま』は、本当は怖いお方だったと思っていました。
それが、あのドラマでは心優しい、とても優しい人になっちまってますよね。
ホントのところはどうなんでしょうね。

どうなんでしょう

MKさん、こんにちは。

歴史上の人物の実像をとらえることは難しいですね。

「江」に関しても、今まで読んだ本の中では嫉妬深いとしか書かれていません。だからそう思っているだけで、実際は違うかもしれません。


今、12月4日から放送される「坂の上の雲」に合わせて乃木希典に関する本を読んでいます。
「軍神」や「愚将」といった相反する評価がありますが、実像はどうなのか?

本当のところはどうなのかわかりません。

会津藩の家風

秀忠は恐妻家だったので、多少の誇張はあるでしょうが、保科正之の出生から生い立ちの経緯を考えると、「江」が嫉妬深かったのは事実に近いのではないかという気がします。人間ですから他の面もあったでしょうが。

昨日、司馬遼太郎の『王城の護衛者』を読みましたが、会津藩の松平容保のミニ伝記です。
すでに読まれたかもしれませんが、その中で会津藩の家風について書かれていました。
徳川家の連枝のなかでは異様な家風で、藩の目的は全て「将軍家」のためであり、神道を報じていたので「「神になる」藩主を中心とした武士道の秘密結社」のような藩だったそうです。
藩祖正之の出自と育ちが強く影響したのでしょう。
この家風と藩主容保がなかなかの人物だったことが相まって、幕末では会津藩が破滅へと向かう運命につながっていったように思えます。

No title

yoshimi さん、こんにちは。

『王城の護衛者』は数年前に読みました。

河井継之助を主人公にした『峠』を読み、その勢いで司馬遼太郎の幕末ものを数冊読みましたが、そのときに読んだのです。

面白かったですね。幕末におけるいろんな動きや人間模様がえがかれていたと記憶しています。

幕末の会津藩の動向は、藩祖である保科正之が作った家風からくるものだと思われます。
正之の出自と取り立ててくれた家光への恩が大きいと推測しています。
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