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聴いて考える

昨日書類整理をしていたら、2年前の新聞の切り抜きが出てきました。

小澤征爾のインタビュー記事です。印象的なところを抜粋すると

あるときカラヤンから「音出して走者にキュー(合図)を出す必要はない。 ~ 各人が持っている音楽の感情を自然にインスパイア(喚起)するのが指揮者の奥義だ」と言われました。

小澤さんは言います。
「でも、僕はそのメソッドを持っていない。だから毎年が手探りです」

カラヤンの言葉に「そういうものなのか」と思う一方、意味するところは僕には理解不能という現実があります。音楽的次元が違いすぎるのです。
それから小澤さんの「毎年が手探り」という言葉は衝撃的です。あの世界の小澤にして未だに手探りと言わせるレベルの高さなのかと。

それなら僕が実感をもって受け止めれないのも無理はない、という都合のよい言い訳にしましょう(苦笑)

しかし、はるかに高い次元であっても「奏者の音楽の感情を自然にインスパイアする」という言葉は覚えておきたい!

あと一つ
「音楽を教えることはできない。『ひたすら聴いて考えろ』と言うしかない」

ここで使ってある「音楽」はどういう意味だろうか?
深い意味があるのだろうな・・・
しかし今の僕にはわからない。

“ひたすら聴いて考える”

深くは聴けなくても、浅くは聴ける。
深くは考えれなくても、浅くは考えられる。

考えて100あるうちの0.1でもわかれば嬉しい。
それを積み重ねて1にし、さらに5にまで持っていきたい。
願わくば10になれば幸せだ!

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カントの言葉

ウィーンフィルのコンサート・マスターのライナー・キュッヒルが、”良い指揮者とは?”という問いに対して、”私たちの音楽を邪魔しない指揮者”と答えたそうです。
ウィーンフィルの楽団員は大変プライドが高いそうですし、ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代は、オペラ指揮などに厳しい批評があったようですから、小澤氏は大変なご苦労があったのではないかと思います。
”毎年が手探り”という言葉に、なぜか納得してしまいました。

>「音楽を教えることはできない。『ひたすら聴いて考えろ』と言うしかない」

この言葉をきくと、カントの「哲学を学ぶことはできない、哲学的に思索することを学び得るだけである」(「哲学を教えることはできない、哲学することなら教えることができる」などとも訳されてますが)という言葉を思い出します。

同じことを言っているのかどうかは、はっきりはわかりませんが、学問や芸術というのは、ひたすら考えることによって”真理”や”真髄”を突き詰めていくという点では同じなのかもしれませんね。

音楽

yoshimi さん、こんにちは。

ライナー・キュッヒルの言葉はどこかで聞いたことがあります。

ウィーン・フィルにしろウィーン国立歌劇場管弦楽団にしろ、そこで指揮をするのは大変なことですね。

カントの言葉は初めて聞きました。
哲学は大学の時ほんの少しだけかじりました。それ以降はまったく無縁の世界を生きています。
だからカントの言いたいことはさっぱりわかりません。けれども、小澤さんの言葉と似ているような気はします。

僕は音楽を専門的に勉強したこともなく、今はのほほんと吹奏楽の現場にいますが、わずかでもいいから音楽のことがわかりたいと思っています。
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