1973年のピンボール(2)
村上春樹2作目となる「1973年のピンボール」について。
前回の記事を書いてからいろいろと考えてみましたが、とりとめのない小説という印象は変わりません。これが僕がこの小説をつかみきらないから。感性の違いかもしれません・・・
けれども時々「おっ!」と思わせる言葉が出てきて、僕の心をとらえます。
見分けのつかない双子の姉妹が現れて、不思議な同居生活(3人ですよ)が始まります。なんら必然性がないままですよ・・・
あるとき主人公の「僕」が次のことを感じます。
「彼女たちと暮らし始めてから、僕の中の時間に対する感覚は目に見えて後退していった」
「僕は、自分が本当に遠くに来てしまったんだと実感する」
さらに話が進んで
「どこまで行けば、僕は僕自身の場所を見つけることができるのか?」
なんか考えさせられます。
1970年の冬、「僕」はピンボールの呪術の世界に入り込みます。
ひたすらピンボールをする生活を送ります。
1971年2月、ゲームセンターが取り壊しになりピンボールが姿を消します。
出来る限りのことをして「僕」はピンボールを探します。
見つかったという連絡があって、ピンボールと再会をはたします。
その後
双子がもとの所へ帰ります。
この小説における双子の姉妹とピンボールは何なんだろう?
考えるのですが、さっぱりわかりません。
それから「僕」はベッドでカントの「純粋理性批判」を読む習慣があります。
あるところでカントの言葉を引用しています。
「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある」
この小説にどういう意味合いを持たせているのだろう?
これもわかりません。
などなど。
僕には謎の多い小説でした。
次回は「羊をめぐる冒険」
これ、なかなか面白いですよ!
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けれども時々「おっ!」と思わせる言葉が出てきて、僕の心をとらえます。
見分けのつかない双子の姉妹が現れて、不思議な同居生活(3人ですよ)が始まります。なんら必然性がないままですよ・・・
あるとき主人公の「僕」が次のことを感じます。
「彼女たちと暮らし始めてから、僕の中の時間に対する感覚は目に見えて後退していった」
「僕は、自分が本当に遠くに来てしまったんだと実感する」
さらに話が進んで
「どこまで行けば、僕は僕自身の場所を見つけることができるのか?」
なんか考えさせられます。
1970年の冬、「僕」はピンボールの呪術の世界に入り込みます。
ひたすらピンボールをする生活を送ります。
1971年2月、ゲームセンターが取り壊しになりピンボールが姿を消します。
出来る限りのことをして「僕」はピンボールを探します。
見つかったという連絡があって、ピンボールと再会をはたします。
その後
双子がもとの所へ帰ります。
この小説における双子の姉妹とピンボールは何なんだろう?
考えるのですが、さっぱりわかりません。
それから「僕」はベッドでカントの「純粋理性批判」を読む習慣があります。
あるところでカントの言葉を引用しています。
「哲学の義務は、誤解によって生じた幻想を除去することにある」
この小説にどういう意味合いを持たせているのだろう?
これもわかりません。
などなど。
僕には謎の多い小説でした。
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