1973年のピンボール

村上春樹の長編2作目が「1973年のピンボール」を読み終えました。
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村上作品に関して予備知識をほとんど持たずに読んでいます。
だから1作目の「風の歌を聴け」と同じ主人公の「僕」と「鼠」が出てきたたらビックリしました。

話がつながっているのですね。
ただ単純に続編になっているのではなく、時系列で並べるといったりきたりします。
だからこの2作を深読みしようと思えば、お互いに関連させて読まなければならないかなと思っています。
(といっても、今の僕にはそんな気はありませんが・・・苦笑)

2作とも固有名詞がありません。
「僕」「鼠」「双子の姉妹」鼠の「彼女」です。
強いて言えばジェイズ・バーのマスターかな?まさに「ジェイ」という名前のような気がする。といっても中国人という設定だから、違うような気もします。

できれば2回目も書こうと思っているのですが、今日書きたいことは一つ。

“退屈”

半分くらい読んだときでしょうか、突然“退屈”という言葉と「坂の上の雲」の一文が頭に浮かびました。

「青春というのは、ひまで、ときに死ぬほど退屈で、しかもエネルギッシュで、こまったことにそのエネルギーを智恵が支配していない」 (第1巻P181)

子規について述べた文の一節です。

なぜこの言葉が浮かんできたのかわかりません。
唐突といか言いようがありません。
これが、1973年のピンボールという作品と関連があるのか?と聞かれると、口ごもるよりほかないのです。
でも、僕はこの一文にとらわれてしまいまいした。


この小説は“退屈”を描いたものなのか?

どうなんでしょう?


視点を変えて
村上春樹の文章は退屈か?
つまり、凡庸で内容が空疎か。

決してそうではない。
これは僕の個人的な感覚が言っています。
なにかしらひきつけるものがあるのです。正体がわかりませんが・・・



ここでへんてこなことを考えました。

1973年のピンボールでは、
“退屈でない文章が退屈を描いている”

・・・?

なにやらわけわかりませんね(苦笑)
思考の迷路に入り込む前に、ここで止めておきましょうか(笑)

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