駆ける

北畠顕家が、白地に丸、風林火山の旗を立てて駆けました。
多賀城から愛知川
多賀城から京の都まで駆けたのです。

上の地図は map fan で、宮城県多賀城市から滋賀県愛知川までの行程で、825kmと表示されました。
(ただし、現在の道路にそっているので、1335年当時の道と同じではありません)

“駆ける”に至る状況を概観すると

1334年 陸奥国の多賀城(宮城県多賀城市)に赴く。そして東北地方経営を始める。
1335年 足利尊氏軍が鎌倉にて建武政権に反旗を翻し、京へ攻め上る。先発隊が11月中旬に鎌倉を出る。 
そして同年12月、顕家は奥州の兵を引き連れ、尊氏軍を追いかける。

「破軍の星」(北方謙三著)によると
12月22日 多賀城を出発
1月 6日 遠江(静岡県西部)着
1月13日 近江の愛知川着とあります。

map fan の距離表示でいくと、
多賀城~鎌倉  405km  
鎌倉~静岡県磐田市見付  205km
静岡県磐田市見付~滋賀県愛知川 215km

(遠江のどこに着いたかはかいてありません。目安として当時、遠江の国府は見付であったようなので、見付で距離表示を出しました。深い意味はありません)

12月22日から1月6日までが15日間 610km移動しています。
 → 1日平均40.67km 

白河関を越えてから鎌倉に至るまで、2度足利軍の抵抗を受けています。
ですから実質はそれ以上の距離を移動しているわけです。しかも休むことなく。

1月6日から13日までが7日間 215km移動。
 → 1日平均 30.71km

次の1月14日には、近江に出てきた足利軍と対戦して勝利しています。

22日間ひたすら駆けてきて、疲労の極にあると思われるのに、戦に勝っているのが信じられません。 


顕家は従っている武将に言います。
「京に向けて、ひた駆ける。
これからは、駆けることが戦だと思え。
遅れたものを待つな。戦で、待つ者は死ぬだけだ。家の子郎党が遅れれば、待ちたくはなろう。その時は、駆けることが戦だと思い出せ。
京に着到した時、白地に丸、風林火山の旗と並んで立つ者だけが、戦をしてきた者ということになる。
夜明け前に進発し、陽が落ちるまで駆ける。それが何日も続くのだ。
馬が潰れれば、おのが脚で駆けよ。脚が萎えれば、腕で這え。
そして覇者の立つ地に立て」   (P205)

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