菜の花忌
今日は菜の花忌。
司馬遼太郎が亡くなったのが、1996年(平成8年)2月12日。
いつからか命日が「菜の花忌」と呼ばれています。
(菜の花忌についてはこちらを → http://www.shibazaidan.or.jp/16nanohana/index.html)
そう、あれから15年経ちました。
今「街道をついてゆく」を読んでいます。

2007年8月から朝日新聞に連載され、2008年6月に発売されました。このことを僕は知らず、今月発売になったばかりの文庫本を、先日書店でたまたま見つけました。(現在半分ほど読めました)
写真にあるように左が司馬さん、真ん中がみどり夫人、そして右が著者の村井さんです。バックに写るのは名古屋城天守閣です。
おそらく「濃尾参州記」の取材旅行で撮られたスナップだと思います。となると最晩年の司馬さんの写真になりますね。
それにしても「街道をついてゆく」とは、うまいネーミングですね!
?頭の中に「?」がいっぱい出た方のために説明します?
司馬遼太郎の重要な作品群の一つに「街道をゆく」があります。
1971(昭和46)年から亡くなる1996年まで書き続けられ、全43冊になる作品です。
その25年間に担当記者が5人しました。
担当者の仕事は様々な打ち合わせや原稿の受け取り等、そして取材旅行の同伴があります。
まさに司馬さんに“ついて”ゆくのです。
村井さんは最後の担当者で6年間ともにしました。
36巻の「本所深川散歩・神田界隈」から、43巻の「濃尾参州記」までです。
この本はその間におけるエピソードがいっぱい語られています。
司馬さんの生の姿を知ることができる、これが最大の魅力です。
偏食、低体温と低血圧、風邪を極端に恐れること、しゃべったことはオフレコにならない等、意外な面を知ることができました。
また、「街道をゆく」最後の8巻のサイドストーリーにもなります。
既に読んだ本もあれば、まだの本もあります。この本を片手に読み、また読み直すもの一興かなと思います。
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司馬遼太郎が亡くなったのが、1996年(平成8年)2月12日。
いつからか命日が「菜の花忌」と呼ばれています。
(菜の花忌についてはこちらを → http://www.shibazaidan.or.jp/16nanohana/index.html)
そう、あれから15年経ちました。
今「街道をついてゆく」を読んでいます。

2007年8月から朝日新聞に連載され、2008年6月に発売されました。このことを僕は知らず、今月発売になったばかりの文庫本を、先日書店でたまたま見つけました。(現在半分ほど読めました)
写真にあるように左が司馬さん、真ん中がみどり夫人、そして右が著者の村井さんです。バックに写るのは名古屋城天守閣です。
おそらく「濃尾参州記」の取材旅行で撮られたスナップだと思います。となると最晩年の司馬さんの写真になりますね。
それにしても「街道をついてゆく」とは、うまいネーミングですね!
?頭の中に「?」がいっぱい出た方のために説明します?
司馬遼太郎の重要な作品群の一つに「街道をゆく」があります。
1971(昭和46)年から亡くなる1996年まで書き続けられ、全43冊になる作品です。
その25年間に担当記者が5人しました。
担当者の仕事は様々な打ち合わせや原稿の受け取り等、そして取材旅行の同伴があります。
まさに司馬さんに“ついて”ゆくのです。
村井さんは最後の担当者で6年間ともにしました。
36巻の「本所深川散歩・神田界隈」から、43巻の「濃尾参州記」までです。
この本はその間におけるエピソードがいっぱい語られています。
司馬さんの生の姿を知ることができる、これが最大の魅力です。
偏食、低体温と低血圧、風邪を極端に恐れること、しゃべったことはオフレコにならない等、意外な面を知ることができました。
また、「街道をゆく」最後の8巻のサイドストーリーにもなります。
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