民のための政治
鼻歌。
よくするんですよ。ついついメロディを口ずさんでしまうのです。
月曜日も火曜日もそして今日も「たなばた」と「久石譲作品集3」のHANA_BIを歌っています。
ついでに手も腕も動きます(笑)
僕は本が好きですが、読書計画は立てません。導かれるままに読んでいます。
なぜかしら今年は中国ものが目立っています。(歴史ものといえば、いつも日本史がダントツ、ついで西洋史なのですが)
・浅田次郎の清朝末期もの。
「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」
・北方謙三の「水滸伝」、4巻まで読みました。
・新聞連載中の「草原の風」(宮城谷昌光)
これら作品を読んでいて、強烈に感じさせるのが「民のための政治」ということ。
浅田作品は3部作(?)における、
清朝建国に関わる愛新覚羅ヌルハチとその子達の「我が勲は民の平安」
西太后その他の「四億の民草のために」など
「民のために」という強い思いがストレートに伝わってきます。
ここには浅田次郎が作中人物に仮託して語りたかった「民のための政治」という思いがあるのかもしれません。
「水滸伝」では
「この国は腐っている」という言葉がよく出てきます。国の政治に携わるものがが腐っている。役人は賄賂づけになっている。民は苦しんでいる。
何とかしなければならない。この国を倒さなければならない。そして新しい国を作らなければならない。「民のための政治」をしなければならない。
これが繰り返し出てきます。
原典の「水滸伝」を読んでいないのでなんともいえませんが、北方「水滸伝」は「民のため」という強烈な思いが書かれています。
中国の政治思想に「民のための政治」という考えがあるのでしょうか?
論語に始まる儒教思想にあるのか?
諸子百家の思想にあったのか?
「徳」という考えにそれがあるのか?
中国のことはさっぱりわからないので、頭の中は“クエスチョンマーク”のみです。
一方浅田、北方の思想が小説の形をとって主張されたのか?
と考えてみたり。
両方かなと思ってみたり。
うだうだと考えつつも、小説中繰り返し表れる言葉は、僕の中に「民のための」という言葉を刻印しました。
そして、ついつい日本の政治を考えてしまいます。
今の政治家に「民のための政治」という意識がどれほどあるのかと。
政局に目を奪われ過ぎていないのかと。
FC2 Blog Ranking
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
よくするんですよ。ついついメロディを口ずさんでしまうのです。
月曜日も火曜日もそして今日も「たなばた」と「久石譲作品集3」のHANA_BIを歌っています。
ついでに手も腕も動きます(笑)
僕は本が好きですが、読書計画は立てません。導かれるままに読んでいます。
なぜかしら今年は中国ものが目立っています。(歴史ものといえば、いつも日本史がダントツ、ついで西洋史なのですが)
・浅田次郎の清朝末期もの。
「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」「中原の虹」
・北方謙三の「水滸伝」、4巻まで読みました。
・新聞連載中の「草原の風」(宮城谷昌光)
これら作品を読んでいて、強烈に感じさせるのが「民のための政治」ということ。
浅田作品は3部作(?)における、
清朝建国に関わる愛新覚羅ヌルハチとその子達の「我が勲は民の平安」
西太后その他の「四億の民草のために」など
「民のために」という強い思いがストレートに伝わってきます。
ここには浅田次郎が作中人物に仮託して語りたかった「民のための政治」という思いがあるのかもしれません。
「水滸伝」では
「この国は腐っている」という言葉がよく出てきます。国の政治に携わるものがが腐っている。役人は賄賂づけになっている。民は苦しんでいる。
何とかしなければならない。この国を倒さなければならない。そして新しい国を作らなければならない。「民のための政治」をしなければならない。
これが繰り返し出てきます。
原典の「水滸伝」を読んでいないのでなんともいえませんが、北方「水滸伝」は「民のため」という強烈な思いが書かれています。
中国の政治思想に「民のための政治」という考えがあるのでしょうか?
論語に始まる儒教思想にあるのか?
諸子百家の思想にあったのか?
「徳」という考えにそれがあるのか?
中国のことはさっぱりわからないので、頭の中は“クエスチョンマーク”のみです。
一方浅田、北方の思想が小説の形をとって主張されたのか?
と考えてみたり。
両方かなと思ってみたり。
うだうだと考えつつも、小説中繰り返し表れる言葉は、僕の中に「民のための」という言葉を刻印しました。
そして、ついつい日本の政治を考えてしまいます。
今の政治家に「民のための政治」という意識がどれほどあるのかと。
政局に目を奪われ過ぎていないのかと。
FC2 Blog Ranking
↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!




スポンサーサイト