古池や
養老孟司、古館伊知郎「記憶がウソをつく!」を読みました。
あんまり面白くなかったな・・・というのが正直な感想。
同じ養老さんでも久石譲との対談本「耳で考える」がよかったので、期待したのですが、残念ながら外れてしまいました。
その中で一番面白いと思ったのが、“古池や 蛙飛び込む 水の音”の分析(?)
古池や →自分が見ている古池 目(視覚情報)
蛙飛び込む →蛙が飛び込むという動き 運動
水の音 →音が聞こえる 耳(聴覚情報)
「目から始まって、運動になって、耳に来る。これって、いちおう言葉の世界が凝縮されているんですよ。
言葉というのは、目と、耳と、運動ですからね」(P206)
言葉の世界が凝縮というのは、僕には理解不能ですが(苦笑)、五七五の中に3つの要素がはいっているという指摘は新鮮でした。
五感のうちの「視覚」「聴覚」が入り、運動の要素が入っている。
ナルホド!という感じでした。
僕は俳句鑑賞することもなければ発句することもありません。けれども何か使えそうですね。
ということで、僕が覚えている数少ない俳句から一つだけ分析すると
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
柿食えば →食べるという運動
鐘が鳴るなり →鐘の音が聞こえる
法隆寺 → ・・・ここが問題です。法隆寺が見えているのか、近くにいて法隆寺とわかっているのか?
でも、読む人には頭の中で法隆寺の映像がイメージされていると思います。つまり視覚情報。
養老さん、どう?この分析。あってますか?
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あんまり面白くなかったな・・・というのが正直な感想。
同じ養老さんでも久石譲との対談本「耳で考える」がよかったので、期待したのですが、残念ながら外れてしまいました。
その中で一番面白いと思ったのが、“古池や 蛙飛び込む 水の音”の分析(?)
古池や →自分が見ている古池 目(視覚情報)
蛙飛び込む →蛙が飛び込むという動き 運動
水の音 →音が聞こえる 耳(聴覚情報)
「目から始まって、運動になって、耳に来る。これって、いちおう言葉の世界が凝縮されているんですよ。
言葉というのは、目と、耳と、運動ですからね」(P206)
言葉の世界が凝縮というのは、僕には理解不能ですが(苦笑)、五七五の中に3つの要素がはいっているという指摘は新鮮でした。
五感のうちの「視覚」「聴覚」が入り、運動の要素が入っている。
ナルホド!という感じでした。
僕は俳句鑑賞することもなければ発句することもありません。けれども何か使えそうですね。
ということで、僕が覚えている数少ない俳句から一つだけ分析すると
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」
柿食えば →食べるという運動
鐘が鳴るなり →鐘の音が聞こえる
法隆寺 → ・・・ここが問題です。法隆寺が見えているのか、近くにいて法隆寺とわかっているのか?
でも、読む人には頭の中で法隆寺の映像がイメージされていると思います。つまり視覚情報。
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