東美濃

美濃と飛騨が今の岐阜県。

地図だけを見て、飛騨を岐阜県北部というには抵抗はないのですが、美濃を岐阜県南部というには占める面積が大きく違和感を感じます。

岐阜県人の方はどう感じているのでしょう?

美濃だけを地図から切り抜くと何となく四国に似ているように思います。
長野県境の東部から、愛知県三重県境の南部、そして滋賀県境の西部に至るラインが、四国の徳島?高知?愛媛のラインと似ているような気がします。

美濃は南北より東西に長いので、中央部・東部・西部と分けて考えてみたいと思います。
(岐阜県のことはさっぱりわかりませんので、間違っていたら正しい考え方を教えてください)

それで「豊臣秀長」(堺屋太一)より
尾張(愛知県西部)を支配していた織田信長は、次の攻撃のターゲットと美濃と伊勢に置いていました。

美濃の兵は強く、なかなか勝てません。そこで信長は「間断なき侵入」作戦をとり(拙ブログ2月3日と5日の記事を参照してください)、一方で秀吉に東美濃の調略を任せます。

東美濃川並(かわなみ)の地侍たち、松倉城、鵜沼城、猿啄城、伊木山城という名前ができます。
鵜沼と伊木山という地名は調べたら出てきました。岐阜県各務原市にあります。愛知県犬山市の対岸になります。

犬山城から見ると木曽川の対岸になるのですね。
犬山城に行ったことがありますが、川を挟んで向こう側に山があります。犬山城の山というか丘よりも何倍も大きい山です。山脈になっていない単体の山です。これが伊木山ですから、ここに伊木山城があったのかもしれません。

いずれにしろ各務原市あたりを中心に、秀吉は調略を活発に行っていたのでしょうか?

「この東美濃における一連の調略こそ、木下藤吉郎、のちの太閤秀吉の信頼できる史料によって裏付け得る最初の功労である」(P147?148)


最初の功労とありますが、信頼できる史料に初めて木下藤吉郎の名前が出てきたとは書いてありません。
初めて名前が出たのは、この時がそれ以前か?
薪奉行や石垣奉行の逸話は信頼できる史料によるものか?

よくわかりませんが、東美濃の調略によって一武将として認知されたことが重要だと思います。
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