天下布武

織田信長の「天下布武」は、武力でもって全国を統一するという意味だと思っていました。

ところが、この「天下」という言葉は、日本全国を意味するわけではないことが、この本に書かれていました。


太平記

書店の新書コーナーで見つけたのですが、戦国時代のキリスト教宣教師と太平記の取り合わせがミスマッチに思え、逆に興味を掻き立てられました。


P95~99に余談として書かれていますが、抜粋と要約で書いていきます。

イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書翰に
「日本全土は66の王国に分かれている。
~ その中で最も主要なものは日本の君主国を構成する五畿内の5つのである。
~ 五畿内の君主は天下の主君 ~ と呼ばれ ~」
と書いています。

五畿内とは、山城・大和・摂津・河内・和泉を言います。

今の京都府南部(京都市以南)と奈良県、大阪府、兵庫県の一部です。

これを天下といい、この地域を掌握したものを「天下の主君」というわけです。

ルイス・フロイスの交流範囲はわかりませんが、この「天下」の意味は当時の常識と考えてもいいと思います。


この本では、日本側の例を2つ挙げています。

一つ目は上杉謙信
「武田信玄を退治し、北条氏康とは真実の和睦を実現した上で、領国の越後を気づかうことなく『天下』へ上洛できるよに神仏に願をかけている」とあります。

二つ目は豊臣秀吉。
本能寺の変の後に開かれた清州会議を報告する手紙に
「明智光秀の旧領の近江国志賀郡を知行するように言われたが ~ 、自分が志賀郡を領地にすれば、この秀吉の領地が『天下』を包み込むような形になり、口さがない人々は、秀吉が自分の領土で『天下』を包囲して発言権を大きくしたいのだ、と噂するに違いない~」
と書いています。

ここでいう秀吉の領地は播磨で姫路城を本拠にしていました。

ざっくりいうと、近江国志賀郡は滋賀県の南東部、播磨は兵庫県南部、この2つが包み込む、あるいは包囲する地域はというと。そう五機内になるんですね。

こうしたことから考えて、織田信長が美濃を制覇し岐阜に本拠を移してから「天下布武」という言葉を使い始めましたが、信長は五畿内という意味で使ったように思えるのです。
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