夏草の賦(上)

昨年はあまり読書に時間が取れなかったので、その分をこのお正月に取り戻そうと気合を入れました(笑)
いつも数冊の本を併読しているのですが、今年は司馬遼太郎が多くの時間を占めました。
そして今日ご紹介するのは「夏草の賦」、その上巻です。

夏草の賦

この本についてご存知でない方は、右側の本を見て「?」がいくつもついたのではないでしょうか。

説明しますね。
「夏草の賦」は、長曾我部元親(1539~1599)を主人公にしています。元親が家督相続したときは、土佐一郡しか領有していなかったのが、武力調略を駆使して四国の大部分を征服するまでになりました。そこで織田信長の勢力圏と接することになります。
信長が美濃を制したあたりから明智光秀と長曾我部元親につながりがあり、織田と長曾我部の対決が現実に迫るなか、両者の板挟みとなったことが本能寺の変の一因という説があります。

詳しくは、明智憲三郎「本能寺の変 431年目の真実」をお読みください。

この本は2009年に「本能寺の変 427年目の真実」として出版され、2013年に「 ~ 431年目の真実」として修正・加筆されて文庫本として出版されました。だから今年は2017年なので“435年の真実”ということになります。

すみません、しょうもないことが気になるもので(笑)

で、この本を読んだ時、なぜ明智光秀と長曾我部元親に関係あるのかわかりませんでした。
正確に言うと、光秀の家臣斎藤利三の妹が元親の正室になっています。どういうつながりで縁戚関係になったのがわかりませんでした。

それが「夏草の賦」の冒頭に出てくるんですね。びっくりしました。
引用しますと
「織田信長が、尾張から美濃へ進出し、岐阜城を本拠にした早々のころのことである。岐阜城下で美貌のむすめといえば
― 内蔵助屋敷の菜々殿。
と、たれもが指を折った」
とあります。内蔵助というのは斎藤利三のことです。
そこへ長曾我部家から縁談が持ち込まれます。その頃は土佐に4つの勢力があってお互いにしのぎ合っていた状況での話です。

元親の視線の遠さに驚かされます。

この縁談がまとまり、菜々は元親のもとへ嫁ぎます。




話は一気に飛んで、上巻の最後の場面。

信長から元親へ、攻め取った讃岐・阿波・伊予を元の持ち主に返して土佐一国だけの領主になるか、織田家と戦うかという決断を迫ります。
使者になったのが、石谷光政(いしがやみつまさ)です。「夏草の賦」では斎藤利三の弟、菜々の兄となっています。(この兄弟関係は他の本では違っていますが、今は横に置きます)

元親とすれば信長の要求をのめるわけがありません。家来でもなければ同盟関係でもありませんからね。当然拒絶します。


上巻最後の数ページ、元親の言葉の断片をつなげると

「いっそかの信長を斃してしまわれては?」
「明智どのが、信長を斃す。斃したあお、毛利家と同盟していちはやく京をおさえる。拙者は四国勢をあげて大いに応援つかまりましょう」
「上方にお帰りになれば、光秀どのにそのように申されよ」


これを読んで、思わず本棚から「本能寺の変 431年目の真実」を取ってきましたよ。
そして、今回記事を書きました。
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