水野忠邦(3)

「水野忠邦(2)」と「遠山の金さん」を書き、間をあけずに本稿を書く予定でしたが、毎度毎度の計画倒れです(苦笑)

水野忠邦が老中首座 兼 勝手掛老中(今でいうと総理大臣みたいなもの)になったのが天保10年12月(1839)、遠山の金さん(遠山景元)が町奉行になったのが天保11年3月。

ちなみに遠山は北町奉行所。南は矢部定謙(さだのり)という人(天保12年4月就任)

天保12年5月15日、12代将軍家慶の誕生日に、享保および寛政の改革に基づく改革を行うとの宣言がなされます。

それ以降様々な法令が出されますが、改革はどうもうまく進みません。
忠邦にしてみれば、老中首座兼勝手掛老中が命じていることだから、当然粛々と行わなければことで、しかも将軍を立てての改革だから、どんな事があっても全員が全精力を傾けて行わなければならないことでした。(そう思い込んでいました)

重要な働きをすべきはずの町奉行が2人とも手足となって動いていません。

遠山も矢部も忠邦が老中首座兼勝手掛老中になってからの町奉行への登用ですから、当然忠邦の意志が働いています。また改革を始める前の登用だから、事前に改革の内容を知らせ協力を取り付けていた・・・と考えるのが自然なんですが、そうしていなかったのです。

命令に黙って従うのが当たり前だと決めつけ、根回しせずに改革を始めました。
(ここまで佐藤雅美「『執念』の財政改革」の<水野忠邦と天保の改革>の一部を独断と偏見でまとめました)


ここで思うのは「人を動かすこと」「組織を動かすこと」の難しさです。

“正しい事だから必ずしなければならない”“上の命令だから下は文句を言わず従わなければならない”
これは確かに正論です。でもそれを振り回すだけでは人は動かないということ。

独り相撲になってはいけないこと。必ず協力者やキーマンに根回ししておくこと。
「根回し」という言葉は時として陰気な意味合いを持つ時がありますが、物事をスムーズに進めるために必要な時があると思っています。

自分が組織の上の方の立場に立った時、気をつけたいことです。


話変わって、ライプツィッヒのバッハ博物館が新装オープンしたそうです。
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