真珠湾奇襲 ・ ルーズベルトは知っていたか

物置にある本棚をごそごそしていたら、こんな本を見つけました↓

真珠湾1

「2001年6月15日 第1版第1刷」とあります。14年前です!

書店で見つけて「おっ!」と思い、とりあえず買っておいた本です。こうして十年以上たってから読む本もあれば、そのままほこりをかぶってしまう本もあります(苦笑)

ここ数ヶ月、第二次大戦における日米開戦について興味があって、それに関する本を読み、また買っています。
そのうちの1冊が今野勉 著「真珠湾奇襲 ・ ルーズベルトは知っていたか」です。

現在3分の2のところでこの文章を書いています。本来なら全部読んだところで書くのがいいのでしょうが、読了予定の今週中ごろは記事アップの余裕がありません。今度の土日も予定がいろいろと詰まっています。ひょっとしたら文が書けないかもしれません。なので今書くことにしました(苦笑)


真珠湾攻撃にはルーズベルト謀略説が根強くあります。それを検証している本が今野さんの著書です。

470ページほどあって、まだ3分の2ほどしか読んでいないので、要約したりしっかりとしたコメントを書くことはできません。強く印象に残った箇所の引用を中心に書いていきたいと思います。

まずは真珠湾攻撃部隊の進行ルートです。

真珠湾2

攻撃部隊は千島列島エトロフ島ヒトカップ湾に集結し、11月26日に出発しています。そして写真にあるルートを通って12月8日の早朝ハワイ諸島にあるオアフ島の真珠湾を攻撃しました。

僕は12月8日の奇襲攻撃だけは知っていて、それ以外は知りませんでした。


さてアメリカは全く予想もつかない状態で奇襲攻撃を受けたのでしょうか?

答えは、No です

「真珠湾攻撃の3ヶ月前の8月20日、マーシャル参謀総長はハワイ現地指揮官からつぎのような書簡を受け取っていた。
『われわれ最大の敵は、最大6隻航空母艦オアフ島にさしむけるであろう。したがって、早朝攻撃が、彼らのとりうる最前の作戦計画になる。彼らはまた、海上船舶に探知されるのを避けるため、とうぜん、および南を含む西からのルートを利用するのが、もっとも妥当な接近航路であることを知っているに違いない』」 (P22,329)

赤字に変えている部分が予想を敵中させているところです。日本がまだ基礎計画を練っているときに、アメリカはかなり正確な予想を立てているのです。

11月26日にハル・ノートが日本側に渡されます。アメリカは日本との戦争を予想して警戒態勢に入ります。

であるのに、日本の奇襲攻撃は大成功に終わります。


こんなこともあいてありました。(P273~276)
FBI長官のフーバーが、日本がパールハーバー(真珠湾)か、クラークフィールド(フィリピン)を攻撃する予定であるという警告を受けて、それをルーズベルト大統領に話すと、大統領はいつも「このことは私以外の誰にも言うな」と言ったそうです。
フーバー長官はこうした警告を5,6回受けますが、最終の警告はパールハーバー攻撃の1週間前に受けました。フーバーはルーズベルトにこのことをハワイの指揮官に知らせるように求めましたが、大統領は「自分が攻撃するまで待て」と言いました。


かなりあやしいですね。



日米開戦の12年前(1929)に、アメリカは「総合オレンジ計画」という対日戦略を持っていました。
(オレンジは日本を示す記号です)
アメリカのこの時期における仮想的はドイツと日本でした。

この計画で、対日戦争計画がせってされています。
1.対日戦争は予告なしではじまる
2.対日戦の性格は、海軍主体の長期的かつ攻勢的なものである
3.封鎖と軍需産業に対する攻撃により日本の孤立と疲弊をはかる
     (以下省略)

ここを読んでショックを受けました。
日本は1929年当時どれほどの世界戦略を持っていたのだろうか? 
対米戦略はどのようなものだったのだろうか?
たぶん持ってなかったんじゃないだろうか・・・と、勝手に思い込んでいます。



今日はこのあたりで・・・
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