手段としての大義

今日は「廃藩置県」のブックレビューを書く予定でしたが、先日2回連続で書いた「大義」について、あるアイデアが浮かんできたので、それを書きます。


「政治家には大義はない」と大上段に構えて、政治家をぶった切ってしまいましたが、翌日の記事でちょっとばかり修正記事を出しました。

大義を振り回す建前の部分と、本音の部分とあって、それを使い分けているのが政治家で、国民の側としては、その違いを見分ける目を持つべきだと考えました。


さらに言えば、政治家のみならず官僚が言っている巧妙な嘘も見分けることができるようになりたいですね。


さて、今日のタイトルの「手段としての大義」ですが、政治家から国民へではなく、その逆の国民から政治家へという意味です。

国民側から政治家への批判として「大義」を用いるということです。これは既に行われています。つまり、政治批判とは大義を論拠としてして用いているということです。

この場合の大義は、幅広い範囲のことを意味していると思ってください。

例えば今回の選挙でいえば、解散も「大義なき解散」と批判したこと。消費税増税、財政規律、地方創生、集団的自衛権、原発再稼働、社会保障その他多くの論点と、それに対する一人一人が考える大義があります。


政治批判をする際に、国民の一人一人が本音と建前を意識しているかどうかを問いたいと思います。

本音でぐいぐい押していい場合と、大義という錦の御旗のようなものを振りかざした方がいい場合があるような気がします。

注意しなければならないのは、クレーマーにならないことです。バリバリの我欲を分厚い建前で覆って、ゴリゴリ押すのは控えるべきです。節度を持つべきです。

日本の政治がよくなるように、国民生活が豊かになるように、国益を考えて、政治家に物申すときは、大義をうまく使う。手段として大義を用いることに意識的になってはどうだろうかと思うわけです。

狡さを持つ政治家や官僚の上をいく賢さを持てないだろうかと思うのです。


全部とは言いませんが、政治家や官僚は本音として、治める側としては無知なる大衆の方が治めやすいと思っているでしょう。

そうはさせるか!というのが僕の気持ちです。


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