日本国憲法を生んだ密室の9日間

「日本国憲法の原案は、周知の通り、終戦直後の1946年2月4日から12日までのわずか9日間に、連合軍総司令部(GHQ)民政局の25人のメンバーによって書き上げられている」

と、鈴木昭典は「日本国憲法を生んだ密室の9日間」の冒頭で述べています。

「たった9日でか!」
本屋さんでたまたま見つけた時に、タイトルを見て、先ほど引用した冒頭の文を読んで、日数のあまりの少なさに驚きましたね。
これが、この本の購入動機です。低レベルでしょ(笑) 

しかし、本の中身はしっかりしていますよ。

今の憲法のことや憲法改正について考えたい方にお勧めです。それから、アメリカから押し付けられた憲法だからと言って自主憲法の必要性を説いている方もお勧めです。

知らないと、物事は始まりません。思い込みや断片的な知識は危険です。
憲法護持あるいは改正、どちらの立場を取ろうと自由です。けれどもきちんと知ったうえで、しっかり考え、発言すべきですね。

憲法

時系列で追います。

1945年10月4日、マッカーサーが近衛文麿に憲法改正を支持します。

日本政府は改正案作成作業に入りますが、遅々として進みません。

翌年2月1日、改正案の一つが毎日新聞にスクープされます。
それがあまりにも保守的すぎたので、マッカーサーがGHQの手で草案を書くことを決意します。そこからスタートです。

そして2月4日から12日まで作成作業が行われます。詳細は本書を手に取って下さい。ここで要約することは無理です(苦笑)

2月4日、すなわち初日になるわけですが、まずホイットニー准将の言葉がありました。
「日本政府の新憲法案は、総司令部としては受け入れることはできないものだ。なぜなら民主主義の根本を理解していいない案だからである。このような案を長時間かけて日本政府と交渉するよりも、こちらから憲法のモデル案を提供した方が効果的である ~ 」 (P38)

民政局のメンバーは寝耳に水でした。まさか自分たちが憲法草案を作ることになるとは思ってもいませんでしたから。

といった具合です。


これだけ書くと、急ごしらえで作られたものかと思われがちですね。たしかにそういう一面があります。しかし一方で・・・

1942年8月にアメリカに極東班というのができて、戦後の日本研究が始まっているのです。その前年の12月8日が太平洋戦争開戦の日ですよ。

1945年6月に「初期対日政策」という文ができ、憲法改正に関しての具体的な指針を示した「日本の統治体制の改革」が46年の1月に出ています。

そういった下敷きがあったのです。勿論ポツダム宣言や国連憲章もですが。



この9日におよぶ作業は極秘裏に行われました。民政局の25人以外誰にも知られずに作業をしなければならなかったんですね。本書に収められた内容は秘話といっていい部分があります。貴重なドキュメンタリーでもあります。


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