「ながい坂」(3)

山本周五郎「ながい坂」より名言を。

しんじつよりも、また聞きのほうがゆるがせににはならない。世間は事のしんじつより、風聞のほうに動かされやすいものだ」 (下巻P36)

確かにそうですね!
風聞、いわば世間の噂であったり、ガセネタであったり、とかくスキャンダル好きなのは人間の悲しい性分か?
真実あるいは事実よりそちらに動かされやすいんですね。


人も世間も簡単ではない。
善意と悪意、潔癖と汚濁、勇気と臆病、貞節と不貞、その他もろもろの相反するものの総合が人間の実体なんだ。
世の中はそういう人間の離合相克によって動いてゆくのだし、眼の前にある状態だけで善悪の判断はできない
」 
(下巻P128)

これは常にわきまえておくべき言葉だと思います。
人生も世間も単純ではありません。いろんなものが複雑に絡み合っています。そうしたわけわからない世界を、またいろんなしがらみを単純明快に切っていけたらどれほど楽でしょうか。



上巻に山上憶良の「貧窮問答歌」が引用してあります。
ネットで検索したら苦も無く本文がでてきました。「ながい坂」にあるのと若干違いますが引用します。

 風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか ながよはわたる
 天地(あめつち)は 広しといへど 吾がためは 狭(さ)くやなりぬる 日月は 明(あか)しといへど 吾がためは 照りや給はぬ 人皆か 吾のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松(みる)のごと わわけさがれる かかふのみ 肩に打ち掛け ふせいおの まげいおの内に 直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは足の方に 囲みいて 憂へさまよひ 竈(かまど)には 火気(ほけ)吹きたてず 甑(こしき)には 蜘蛛(くも)の巣かきて 飯炊(いひかし)く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言えるが如く しもととる 里長(さとおさ)が声は 寝屋戸(ねやど)まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり 術なきものか 世の中の道 世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば


高校の古文の授業でやった時のことを今でも覚えています。

「咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに」が強烈でした。


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昌治の言葉

こんにちは。
「ながい坂」で一番印象に残っている場面は、主水が江戸で軟禁中の昌治に会うところ(142頁)です。
「世の中にしんじつそうだと云いきれるものがあるか。.....だがおれは自分の勘にあやまりがないと信じているし、その信念が壊されるまでは、信じたことは
ゆるぎないと思う」や、「それは、落雷を恐れるようなものだ。どこへ、いつ、雷が落ちるかと心配しても、現実にはなんの役にもたたない」という、昌治の自信に満ちた言葉に主水は圧倒されますね。
やはり昌治は、主君たる資質を持った人だったのでしょう。
特に、落雷の比喩は全くその通り。これを読んだときに、自分の力が及ばないことをあれこれ悩んだり心配するのは意味のないことなので止めようと思いました。

主君たる資質

yoshimi さん、こんにちは。

引用の箇所は、僕も強い印象を受けたところです。将たる器を持った人間の言葉だと思います。

山本周五郎の作品には、このような名言がちりばめられていて、それに出会うたびに魅了されます。


142頁というのは文庫本から単行本ですね。
現在出版進行中の「山本周五郎長篇小説全集」では168頁でした。
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