信長の城
昨晩のTVで、信長の城についての番組がありました。
小牧山城、岐阜城、安土城です。
岐阜城は行ったことがないのですが、他の2つは行きました。映像を見ていると懐かしくなりました。
小牧山城は、濃尾平野にある独立丘にたつ城です。信長が城を築く以前は城ないしは砦があったのでしょうか? わかりませんが、そこに城を築きます。
番組の内容を独断と偏見で要約すると、
当時としては珍しい石垣が築かれます。そう、当時は土を掘ったり盛ったりしてできていたのです。石垣は最先端だったのです。
山頂付近に何重にもわたって築かれます。まだ技術的に未熟なので、そんなに高くありません。戦術的価値を今の尺度で測ると低いということになります。しかし戦略的価値は高かったようです。敵である齋藤氏や織田家の家臣団への影響は多大だったようです。
外向きにどう見せるかばかりでなく、内向きに見せることを意識していたことがうかがわれます。
そうそう、敵への心理的影響でいえば、小田原城に対する秀吉の石垣山城を想起させます。
(ひょっとして秀吉の猿真似か?)
岐阜城では、山麓にある迎賓館(たしか、このような名称を使っていました)に注目しています。
庭園や池、池の底に敷いた石に趣向を凝らしたこと。
賓客への食事内容、東西南北遠方から運ばれた食材が使われていること。
客は、公家、商人、戦国大名の武将などと幅広かったこと。
岐阜城山麓は、そのに集まる人にとっては人脈作りやネットワーク作りのばであり、サロンでもあったことになります。
その場を設けた信長の慧眼、僕自身の信長評価の項目が一つ増えました。
安土城では、天守閣の意義を別の角度から述べられていました。
当時天守閣というものはなく、また誰も考えもしなかったかもしれないものを信長が建てたわけです。
これを建てることで、神社仏閣に携わってきた宮大工を使ったこと。内部の装飾に室町建築に携わっていた職人を使ったこと。つまり伝統文化を取り入れたことを評価しているのです。これは僕にとっては新鮮な視点でしたね。
なかなか面白い番組でした。
FC2 Blog Ranking
小牧山城、岐阜城、安土城です。
岐阜城は行ったことがないのですが、他の2つは行きました。映像を見ていると懐かしくなりました。
小牧山城は、濃尾平野にある独立丘にたつ城です。信長が城を築く以前は城ないしは砦があったのでしょうか? わかりませんが、そこに城を築きます。
番組の内容を独断と偏見で要約すると、
当時としては珍しい石垣が築かれます。そう、当時は土を掘ったり盛ったりしてできていたのです。石垣は最先端だったのです。
山頂付近に何重にもわたって築かれます。まだ技術的に未熟なので、そんなに高くありません。戦術的価値を今の尺度で測ると低いということになります。しかし戦略的価値は高かったようです。敵である齋藤氏や織田家の家臣団への影響は多大だったようです。
外向きにどう見せるかばかりでなく、内向きに見せることを意識していたことがうかがわれます。
そうそう、敵への心理的影響でいえば、小田原城に対する秀吉の石垣山城を想起させます。
(ひょっとして秀吉の猿真似か?)
岐阜城では、山麓にある迎賓館(たしか、このような名称を使っていました)に注目しています。
庭園や池、池の底に敷いた石に趣向を凝らしたこと。
賓客への食事内容、東西南北遠方から運ばれた食材が使われていること。
客は、公家、商人、戦国大名の武将などと幅広かったこと。
岐阜城山麓は、そのに集まる人にとっては人脈作りやネットワーク作りのばであり、サロンでもあったことになります。
その場を設けた信長の慧眼、僕自身の信長評価の項目が一つ増えました。
安土城では、天守閣の意義を別の角度から述べられていました。
当時天守閣というものはなく、また誰も考えもしなかったかもしれないものを信長が建てたわけです。
これを建てることで、神社仏閣に携わってきた宮大工を使ったこと。内部の装飾に室町建築に携わっていた職人を使ったこと。つまり伝統文化を取り入れたことを評価しているのです。これは僕にとっては新鮮な視点でしたね。
なかなか面白い番組でした。
FC2 Blog Ranking
- 関連記事
-
- 歴史小説における名前の扱い方
- 信長の城
- 雑兵足軽たちの戦い
スポンサーサイト