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豊臣秀長(7)

尾張にいる頃の秀吉は木下藤吉郎秀吉、秀長は木下小一郎秀長という名でした。

秀吉の出世物語で有名なエピソードの1つが石垣奉行の話。
信長の居城清洲城の石垣を修理するのに驚くほどの短期間で終えたというものです。

ある日、信長から石垣の修理普請の奉行を仰せつかったと秀吉が城から帰ってきて言います。
(内実は秀吉から強引に願い出て仕事をもらってきたのかもしれません)

工事にかかる前、石工たちを集めた酒の席で秀長は秀吉に囁きます。
「兄者は、これができたら、自分だけの手柄にするつもりか・・・」

「木下組だけの(手柄)か・・・。それではねたまれるな・・・」(堺屋太一「豊臣秀長」上巻P109?110)

足軽組頭の中で秀吉はしゃしゃりで過ぎなので、よく思われていません。目立ちすぎると、また手柄を立てすぎるとよくないと秀長は考えたのです。

「偉い人を上にかつぐんやな、総奉行とかなんとかいう名目で・・・」と提案します。

秀吉はその意見を採用します。
その事によって周囲の嫌がらせとか妨害がなくスムーズに工事が進みました。


ここで思うのは、補佐役として大切なことの一つ。トップの人間が周囲と孤立しないように気を配ること。

昨日の記事で書いたカラヤンの場合に当てはめれば、スタッフな優秀な人達だったと思いますが、“暴君”というイメージを持たせないように配慮する人間がいたかどうか。
口べたで言葉によるコミュニケーションが苦手だったカラヤンとオーケストラやマスコミ、音楽関係の人々との緩衝材になったり、円滑な関係が持てるように苦慮した人間がいたかどうか。
と考えています。

これに関して具体的な事実がわかりませんので、安易な判断はできません。
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