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思えば遠くへ来たもんだ

一つの言葉が、すっかり忘れていたことを思い出させることがあります。

前回の記事に引用した村上春樹の言葉
「僕は、自分が本当に遠くへ来てしまったんだと実感する」
ここから
海援隊の「思えば遠くへ来たのもだ」が連想されました。

踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして
貨物列車が走り過ぎる そして夕日に消えてゆく

十四の頃の僕はいつも 冷たいレールに耳をあて
レールの響き聞きながら 遥かな旅路を夢見てた

思えば遠くへ来たもんだ 故郷を離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら


作詞は武田鉄也です。
実体験をもとにつくっているんでしょうね。
九州にいたころの自分と東京に出てからの自分を見つめて・・・


筑後の流れに小鮒釣りする人の影
川面にひとつ浮かんでた 風が吹くたび揺れていた

二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら
いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と信じてた

思えば遠くへ来たもんだ 今では女房子供持ち
思えば遠くへ来たもんだ あの頃恋しく思い出す



海援隊を好きになったのは学生の時。
ミュージックテープがレコードもいくらか買いました。
この「思えば遠くへ来たもんだ」は大好きな歌の一つ。

京都の大学に来て、故郷から離れた自分を重ね合わせ共感しているのが、好きな理由の一つかもしれません。


眠れぬ夜に酒を飲み 夜汽車の汽笛聞くたびに
僕の耳に遠く近く レールの響きが過ぎてゆく

思えば遠くへ来たもんだ 振り向くたびに故郷は
思えば遠くへ来たもんだ 遠くなるような気がします
思えば遠くへ来たもんだ ここまで一人で来たけれど
思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら



もう一つ前回引用した言葉
「どこまで行けば、僕は僕自身をみつけることができるのか?」

「1973年のピンボール」から受ける印象や、海援隊のこの歌の印象はまったく違います。また、この言葉が小説の文脈において使われている意味合いと歌詞の内容は違います。

けれども小説から切り離して、ここに並べてみると、なにやら関連がありそうに思えます。

しかし、怖いですね。それぞれを曲解してしまいそうで。
情報操作の手口の一つかなと思ったり・・・


それはそうと、久しぶりに海援隊のことを思い出しました。
レコードを探せば棚のどこかにホコリをかぶっているはずです。でも我が家ではレコードは聞けないのです(悲)
TSUTAYAに行けばCDがあるかな?
ちょっと聞きたくなりました。

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