龍馬の墓

坂本龍馬展の後、龍馬の墓へ行きました。

龍馬の墓が京都の東山にあると知ったのは20代の半ば、それから〇〇年経ちました。いつかは行きたいと思いながら行けず、ようやく行くことができました。

場所は東山の四条と五条の間です。
四条通を東へ行くと、どんつきは八坂神社になります。その南になります。そして高台寺の東側になります。高台寺はねね、北政所ゆかりの寺です。

龍馬05

龍馬06

龍馬08

↓龍馬だけの墓があるのではありません。ここは有名無名の幕末の志士たちの墓なのです。

龍馬09

龍馬11

↑龍馬と中岡慎太郎の銅像です。この隣に墓があります。両者の墓は隣り合わせです。


ようやく行くことができて、感無量でした。



この場所からの京都は素晴らしい眺めでした。

龍馬10



ちょっとおまけ(笑)

龍馬12

龍馬の墓に行った後、ぷらぷら歩いていると舞子さんがいました。ちょっと後姿を。
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坂本龍馬展

坂本龍馬展に行ってきました。

場所は京都国立博物館です。

龍馬

↑これ、正門なんですが、入口にはなっていません。出口です(笑)
こののすぐ近くのコインパーキングに駐車しました。そこから撮った写真です。


龍馬02

↑この建物を横に見ながら、入口から真直ぐ歩きます。

するとこんなものが↓

龍馬01


龍馬03

↑さっきの出口の写真を内側から撮ったのがこれ


↓展示は平成知新館という建物です。その入口から撮りました。

龍馬04


↓チケットと音声案内

龍馬チケット


没後150年を記念しての展示会でした。

目玉は龍馬直筆の手紙でしょうか。ただ残念なのが、僕自身それを見るありがたみを感じていないこと。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで、坂本龍馬ファンになりましたが、上っ面のファンで、人となりを深く突っ込むとか、行動を追いかけたり、手紙を読み込んだりしたことがありません。
龍馬はかなり筆まめな人で、百通以上の書簡が残っています。それについての本も出版されています。それを読んでいれば、今回の展示が数倍面白かっただろうなと思うのです。

下準備が不足していましたね。

立場主義社会

「俺の立場になってくれよ」とか「立場上しかたないよ」という言葉を聞いたことありませんか。

安冨歩さんがこの「立場」という言葉をキーワードに、日本社会の病巣をえぐり出しています。

「今の日本の社会は、『立場主義社会』と呼ぶべきだと思っています。
私たちの国の正しい名はおそらく、
日本立場主義人民共和国』です。

    (中略)

日本立場主義人民共和国の憲法、これが私が『立場主義三原則』と呼んでいるものです。

前文、『役』を果たせば『立場』が守られる。

第1条、『役』を果たすためには何でもしなければならない。

第2条、『立場』を守るためなら、何をしてもよい。

第3条、他人の『立場』を脅かしてはならない。

この3つさえ守れば、日本では平和に生きていけます」
     (安冨歩「満洲暴走 隠された構造」P180~181)


戦前の満洲での暴走を記述した箇所では、こうも書かれています。

自分の立場を守ったり、他人の立場を脅かさないために、いろんな政策が決定されていく。 ~ 筋道が通ってなくても、効果がないどころか逆効果でも、だれかの立場を守るためなら、それらが延々と実行されます」 (P182)



立場上しかたがないということに関して

「自分がその『立場』に立ったとき、同じことをするかもしれない。同じことしかできないかもしれない、という怯えが、心の中にあるのです。
『立場上、仕方ない』
この言葉ほど、私たちの心に響く言葉があるでしょうか」

銅鐸

井沢元彦の「逆説の日本史 22 明治維新篇 西南戦争と大久保暗殺の謎」がようやく読めました。

この本は372ページまでは表題にある内容で書かれていますが、373ページから522ページまでは補遺編となっています。
その中で、ほ~!と思ったのは銅鐸について書かれた箇所でした。


「ご存じだろうか? 
銅鐸というのは現在の鋳造技術を超える『超ハイテク古代技術』で作られているのだ

現在までに発見されている銅鐸は約500点でほとんどが西日本から出土しているが、そのうち最大のものは滋賀県野洲市の大岩山遺跡で発掘された大山岩1号銅鐸で

高さ134㎝、重量45kgに達する。ところがこの銅鐸の厚さは約3mmから5mmというまさにとんでもないサイズなのだ。

現代の鋳造技術でもこれは復元できないという」(P378)

えっ?という感じですね。
小学3年生の平均身長で、9歳6ヶ月で男子が133.2㎝、女子が133.1㎝です。それぐらいの高さがあって、その厚みが3~5ミリメートル。3~5センチではないのです。

薄っ‼

本当のすごさはわからないけど、この薄さには驚きました。



さて、銅鐸最大の謎はなんでしょうか?
それは、名前がないことだそうです。

銅鏡には「かがみ」、銅剣には「つるぎ」、銅矛には「ほこ」という大和言葉としての呼び名が存在し、古事記にも出てきます。けれども銅鐸は一切登場しないそうです。

近代になって考古学者が、中国の比較的よく似た遺物「鐸(鐘)」にちなんで、銅製の鐸すなわち銅鐸と呼ぶようになったそうです。


この謎を解こうとして井沢さんは推論していきます。説得力のある推論をしています。興味ある方は読んでみてください。

逆説日本史22

その頃の女性は

日露首脳会談について。
マスコミは、北方領土に大きくフォーカスを当てて報道していますが、それ以外に日本の安全保障に大きく関係があると思っています。

まずは対中国。尖閣を中心とした日中対立にロシアはどういう立場をとるか。日本vs中国・ロシアでは勝ち目がありません。ロシアを中立に持っていく必要があります。(できうるならば、日本・ロシアvs中国に持ち込めたらいい。しかし、そんな簡単には物事は進まない) 
その為に経済協力を通じて日露のつながりを深めることが必要だと思います。

エネルギー問題。日本の原油輸入は中東に大きく依存しています。中東情勢は緊迫していて、いざ有事となった場合、原油価格は高騰します。そうなったら日本経済に与える打撃は非常に大きい。それに備えてロシアから天然ガスのパイブラインをひく必要がある。
それから、日本は高い値段で原油を買わされているそうです。ロシアの天然ガスというカードを使えば、値段交渉で有利になる。



前置きとしてちょっとだけ書こうとしましたが、長くなってしまいました(苦笑)


今から書く文章は、ある外国人が日本女性を観察して記録したものです。

女性は処女でなくても何ら名誉を失わない。

離婚は自由で、しばしば女性の方から男と別れる。

娘も妻も、自分で行きたいところへ行く。

女性は酒も強く、しばしば酔っ払う。

堕胎も自由、中には二十回も堕した女がいるという。

妻の方が先に歩き、夫はそれに従う




これ、いつの時代の女性を観察して書かれたのもだと思いますが?


この文章は、井沢元彦「逆説日本史22」P16にある一説です。
逆説日本史22

逆説日本史シリーズは好きで、第1巻からおおよそ読んでいますが、室町幕府6代将軍の足利義教のところまで読んで、ピタッと止まってしまいました(苦笑)
先日、図書館でこの本を見つけ借りてきました。


さて、いつ誰が書いたか?

写真を見て、明治時代と思われましたか?
まさか!?ですよね(笑)

宣教師のルイス・フロイスがローマ法王庁に宛てた正式な報告書に書かれています。
つまり戦国時代末期から安土桃山時代の風俗を観察して記録されたものなのです。

日本社会はどの時代も女性は不自由だった、と思っておられるようでしたら、ちょっと修正していただければと思います。


じゃあ、女性の自由が抑圧されたのはいつからか?
井沢さんによると江戸時代からだそうです。
徳川家康が朱子学を導入します。この朱子学が中国の男尊女卑哲学なんです。これが江戸時代にじわじわと日本社会に浸透していきます。

そうして男尊女卑社会になっていったわけです。

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